BALI

デンパサール養護老人ホーム

2014-6-28「音楽療法」

Yayasan Pelayanan Lanjut Usia Wana Seraya Denpasar

NO 4

最後は、やはり日本と同じく「夕焼小焼」(知らない歌のようでしたが)。

隣の方と手をつなぎ身体を揺らしながら歌い、みなさんと笑顔のうちに音楽療法は終了しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バリ島と日本兵

2012年ここ「デンパサール養護老人ホーム」を訪問した時、私が日本人とわかると、通路で歌を歌ってくれた方がいらっしゃいました。何となく日本の歌のような感じがしたのです。

翌年(2013)そのことが気になり「日本兵から教わった日本の歌なのでは」との思いが膨らみ、インターネットでバリ島と日本兵のことを調べると「パパバリと呼ばれた、三浦襄(じょう)」と言う方に出会いました。

三浦襄は日本兵ではありませんが、バリ島(インドネシア)の方々と日本軍との間に立って、日本軍がインドネシアを独立させるように働きかけた方です。

しかし昭和20年8月15日の敗戦により、日本がインドネシアを独立させることが出来なくなり、私一人が責任をとりますと、日本がインドネシア独立を約束した9月7日に自決されました。享年57歳。

バリ島の人々に慕われていた三浦襄の葬儀は、バリ島の人々によって盛大に行われたとのことです。

「デンパサール養護老人ホーム」を訪問する前に、三浦襄のお墓を尋ねました。

ガイドさんによると、日本人は殆ど来ないとのことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このことから、第二次世界大戦中に日本軍がバリ島へ進駐していたことなどを、いろいろと調べました。

もしかすると「デンパサール養護老人ホーム」に入所されている方の中に、その当時のことを知っている方(戦争時のことを知っている最後の方)がいらっしゃるのではとの思いが沸き、次の訪問時に聞きたい、いや聞かなければとの思いから、今回音楽療法終了後にお聞きしました。

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