BALI

デンパサール養護老人ホーム

2014-6-28「音楽療法」

Yayasan Pelayanan Lanjut Usia Wana Seraya Denpasar

NO 5

入所されている方と日本軍

音楽療法が終了して、皆さんに日本軍が進駐していた頃のことなどを、お聞きしました。

1942年2月日本軍侵攻、1945年8月15日敗戦ですので、72~69年前のことです。

当時5歳の方は現在77歳~74歳ほどですが、覚えてない方や、何となく覚えている方、産まれてなかった方などが多くいらっしゃいました。

 

Aさん(男性)

日本軍によって「お米」を全部焼かれた。

小さかったのでお父さんに抱かれて洞窟などに逃げ、恐ろしかった。

インドネシアが独立した後は、日本の人達に悪い印象はなくなった。

 

Bさん(女性)

日本兵の村田さんに歌を教えてもらった。曲名は「死んでも忘れない」か「死ぬまで忘れない」

村田さんは厳しい人で、チョット間違っても殴られた。

村田さん、橋本さんがやってきて、家で育てている鶏を持って行かれた。

当時、お米はなく家族みんな「芋」を食べた。

オランダ軍が進駐していたころは学校へ行っていたが、日本軍が進駐してから学校をやめた。

今は、日本の方々が来てくれてうれしい。

 

Cさん(女性)

日本兵とバリ人が結婚して、敗戦になって他の日本兵は帰国したが、二人はバリで暮らし亡くなった。

 

Dさん(女性)

オランダ軍進駐時と日本軍進駐時と、生活はあまり変わらなかった。

 

Eさん(女性)

お父さんが「日本兵は可愛い娘が好きだから」隠れるように言われ、田んぼのわらの中で寝ていた。

ただ日本兵は無理につれて行くのではなく、同意があってのことと。

 

終了後に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近1年間にバリ島を訪れる日本人は約20万人。2008年には35万人を越えていました。

これらバリ島を訪れる方々の中で、日本とバリ島の歴史的背景を御存知の方は殆どいらっしゃらないと思います。

戦争に翻弄され、心に大きな傷を負ったにもかかわらず、その国の人々を笑顔で受け入れるバリ島の人々。

謝罪、詫びる、感謝、申し訳ない、ありがとう、すみません、など様々な言葉が脳裏にうかびます。

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